会員ブログ
大雪の万博公園
NPOおおさか緑と樹木の診断協会では、NHK文化センター梅田教室から受託し、「樹木医とめぐる巨樹・巨木」という現地講座を毎月(原則第2金曜日)開催しています。 平成26年2月の開催は、吹田市にある万博記念公園内の樹木を訪ねました。 案内は万博公園での勤務経験もある大槻憲章樹木医にお願いしましたところ、万博公園の植栽メンテナンスにかかわる信原元樹樹木医と岩井美菜子樹木医も応援に駆けつけてくれました。受講者は9名、総勢14名での開催です。 ご記憶の方も多いかとは思いますが、大阪万博は1970年、81の国と国際機関が参加して、戦後日本では東京オリンピックに次ぐ国際イベントとして行われました。 最終入場者数の6421万人は2010年の上海万博までトップであったとのことです。
チャノキの伝来
お茶といえば、煎茶・抹茶・紅茶・ウーロン茶など、いろいろある。 今回は、ツバキ科のチャノキが日本に入ってきた古い記録を書き、次回は飲料の茶葉を書く。 「類聚国史」(るいじゅうこくし 寛平4年、892年、菅原道真)に「弘仁6年(815年)4月に嵯峨帝(在位810~822年)が滋賀の唐崎の近くの崇福寺に寄られ、僧永忠が茶をさしあげたところ喜ばれた。 同年6月、畿内、近江、丹波、播磨などに植え、献じさせた。」 とある。 このチャノキは永忠が唐から持ち帰ったものというが、「日吉社記」では僧最澄が805年に持ち帰った、と書かれている。
冬芽観察
3月に入り、スギ花粉の飛散がピークを迎え、非常に息苦しい日々が続いています。 景色は春めいて来ましたが、奈良の奥山はまだ厳しい冬の衣装をまとっていて、春はまだ先です。しかし、木々のなかには、そろそろ春を意識して動き出しているものもあります。そんな木を探して平成26年3月1日に山にでかけました。 場所は奈良県天川村の神童子谷で、天気は曇り空。 1月の山は荒涼とした感じでしたが、3月になると少し色めいてきて、まさに「山笑う」といった風景もすぐそこです。
高野山の「三鈷の松」と韓国 曹渓寺の「白松」
平成26年1月31日の街路樹研修会の2日後、韓国からの客人を案内して真言宗の総本山 高野山に行ってきた。外国人の観光地案内は京都、奈良が定番、世界遺産に指定されてもまだマイナーな高野山、それも真冬の高野山へ行く外国人は少ないだろうと不安な気持ちで案内した。やはり冬の高野山は観光客もなく閑散静寂であった。杉木立の中を霧が立ち、神厳な奥ノ院、巨木林の中の聖地であった。京都、奈良の寺社とその賑わいを想像していた客人も、母国にない風景に神妙な様子。奥ノ院や苔生した墓石群の前では、敬虔なキリスト教徒でありながら暫し合掌、宗教地としてではなく日本の古い文化地に自然に掌が合わさったのでは・・・。植生が似た韓半島にも天を突く杉の巨木林はなく、その威厳さを感じたようである。 高野山の数多の院を案内しながら総本山の金剛峯寺に案内、居並ぶ伽藍を巡り境内を散策する。やはり韓国の樹木医、異国の一木一草が「木」になるようで名前を訪ねられる。そのような中、御影堂の前に端垣で囲まれた松の木が目に留まった。案内板を見ると「三鈷の松」と記されている。「空海(弘法大師)が唐の明州の浜から投げた三鈷杵が海を渡り高野山まで飛び、この松に引っ掛かり、この地を密教を広める地とした」との伝説がある。
『機器による分析技術』
衰弱した樹木の原因を特定していく際に非常な困難にぶつかることが多々あります。顕微鏡の範囲で同定できるレベルだとまだましなのですが、困ったことに培養が出来なかったり、培養しても相当な条件が整わなければ特徴のでないものだったりするものに出会うことがあります。 例えばキノコに類するものは菌糸の特徴が少ないものが多く、本当にキノコの傘ができるまで、見分けることがとても困難です。
能天気Part2
「ただいま・・・。」 その日、当時高校3年生の息子は明らかに不穏な空気を漂わせて学校から帰ってきた。 「ケータイ失くした・・・。」 なるほど、それで機嫌が悪いのか・・・。しかし、私はここで頭ごなしに叱るようなことはしない。高校3年生といえばとても多感な年頃である。こういう時はあまり刺激しないよう冷静に話そう・・・と思う間もなく、横から妻の容赦ない攻撃が炸裂していた・・・。 「え~!なにやってんの?!ちゃんと大事にしいひんからそんな事になんねんやんか!」 「大事にしてるよ!してるけど失くなってんから、しゃあ~ないやろ!」 私の妻は、感情のコントロールが全くできない。息子は、自業自得だとわかっていて、やり場の無い怒りを押し殺していたのだが、妻の容赦ない攻撃によって完全に理性を失い、我が家は一瞬にして修羅場と化した。