お茶といえば、煎茶・抹茶・紅茶・ウーロン茶など、いろいろある。
 今回は、ツバキ科のチャノキが日本に入ってきた古い記録を書き、次回は飲料の茶葉を書く。「類聚国史」(るいじゅうこくし 寛平4年、892年、菅原道真)に「弘仁6年(815年)4月に嵯峨帝(在位810~822年)が滋賀の唐崎の近くの崇福寺に寄られ、僧永忠が茶をさしあげたところ喜ばれた。 同年6月、畿内、近江、丹波、播磨などに植え、献じさせた。」とある。
 このチャノキは永忠が唐から持ち帰ったものというが、「日吉社記」では僧最澄が805年に持ち帰った、と書かれている。
 大津市坂本の日吉には、最澄が伝来したチャノキを栽培している古い茶園がある。古木が倒れると側から新しい幹が立つが、それが千年以上も続いているものかどうかわからない。平安時代には宮廷や寺院で茶が飲まれていた記録はあるが、当時の日本の物産を詳しく書いている「延喜式」(延長5年、927年、藤原忠平ら)には茶の産地が書かれていないので、一般には栽培しておらず、庶民には飲まれていなかったと思われる。
 日本で広く茶が飲まれるようになったのは、鎌倉時代以後のことである。
 僧栄西(永治元年、1141~建保3年、1215年。京都に建仁寺を開いた。)は、1168年の夏に宋に渡り、秋に帰国した。 1187年に再度、宋に入り1191年7月に長崎の平戸に帰国し、富春庵に茶の種子を播いた。その後、佐賀の背振山の霊仙寺の石上坊にも茶の種子を播いた。この石上茶を明恵上人が京都の栂尾(とがのお)に播いた。この茶はさらに宇治に移されて宇治茶の起源となった。静岡茶は、静岡の足久保に生まれた聖一国師が、1201年に京都から故郷の静岡に移した、といわれている。
 茶会が行われたのは、後醍醐天皇(1288~1339年、在位1318~1339年)の頃からである。足利時代には、村田珠光(じゅこう)が諸式を定め、茶道がおこった。武野紹鷗(じょうおう)を経て、千利休が茶道を大成し、侘茶をひろめた。 
参考文献 北村四郎著 植物文化史Ⅲ

澤田 清

 

チャノキ1

チャノキ1

 

チャノキ2

チャノキ2