たいそうなタイトルですが、3月17日(土)にNPOおおさかの有志があつまり、イチョウの調査を行いました。
 当NPO会員の単なる気まぐれによるところからスタートしましたが、知らない間にたくさんの会員の協力を
いただくことになりました。

 昭和20年3月13日深夜から翌14日未明にかけて、274機のB-29が大阪の街を火の海にしました。
御堂筋も例外ではなく、現在の中央区付近(旧南・東区)も焼け野原になりました。

 御堂筋が完成したのは、昭和12年5月11日。イチョウは、昭和4年から12年にかけて植栽されました。
御堂筋に植栽されるまでの間、大正12年から大阪市直営旭区豊里苗圃にて育成されていました。

 以上のことから、御堂筋のイチョウが戦火に遭ったのは間違いありません。しかし、どのイチョウが戦前から
存在していたのかを示すものはなく、今回の調査となりました。

 何本かのイチョウには、独特の傷跡を残しているものが多数あります。これらの傷跡が戦火の跡ではないかと
考えています。しかし、それを証明するものは何もありません。

 会員からの提案で戦火に遭っているのであれば、幹部分に炭化した層があるのではないか?
炭化した個所があれば、それは重要な証拠になるのではないか、とのことでその炭化した部分を探すこととしました。

 御堂筋には、約900本のイチョウが植栽されています。その中から、イチョウを選び出し、炭化した個所を探し出す
こととしました。

 今回の調査では、まずイチョウの外観を調べました。
会員からの意見では、戦火の跡ではなく、枝の切り口から侵入した腐朽菌の影響ではないかとの意見も寄せられました。
調査後の会議の中で、さまざまな可能性を考え、今後の調査を継続していくこととしました。

 さて、皆さんはどのように感じられますでしょうか?

 KO

 

イチョウの外観診断の様子

イチョウの外観診断の様子

 

調査後の会議の様子

調査後の会議の様子