雪の大山 その3
鴻原弘樹2015-03-07T23:03:54+09:00御机から鏡ヶ成へは車で30分ほどで到着。鏡ヶ成にもスキー場があり、ゲレンデでスキー客が滑っているのが見えた。ここのゲレンデは傾斜がゆるく初心者向きである。
御机から鏡ヶ成へは車で30分ほどで到着。鏡ヶ成にもスキー場があり、ゲレンデでスキー客が滑っているのが見えた。ここのゲレンデは傾斜がゆるく初心者向きである。
今日も天気は良さそうだ。車の中では寒くてあまり寝れなかったせいか、頭がまだボーとしている。昨日は夕陽が望めなかったので、朝陽を期待して今日も鍵掛峠まで出かけることにする。 真っ暗い雪道をひたすら歩く。鍵掛峠に着いた時は空が少し明るくなっていて、星は既に見えなくなっていた。大山は雲一つなく凛として冬空にそびえていた。 しばらくして東の空が紅くなり、それとともに大山に朝陽が当たってきた。しかし思ったほど大山は紅くならなかった。
古くから日本四名山と呼ばれている山がある。それは、富士山、立山、御嶽山、大山の4つの山のことで、いずれも信仰の山として有名である。しかし大山以外の3つの山は標高が3,000mを超えているのに対し、標高が1,729mしかない大山が選ばれているのは意外な感じがする。 その大山は鳥取県に位置し日本海に面していて、冬は雪や曇りの日が多く、あまり晴れている日は少ない。 平成27年2月20日、天気予報では高気圧が日本に張り出してくるとのことだったので、大山に向かって車を走らせる。 大山を望む好ポイントとして鍵掛峠(標高912m)があげられる。鍵掛峠から北を望むと大面積のブナ林が拡がり、その上には大山南壁の無数のガレ場が一望できる。新緑や紅葉の観光シーズンには多くの車で混雑する場所でもある。 しかし、冬場は雪のため車は通行止めになり、鍵掛峠へ行くには奥大山スキー場から徒歩でしか行くことができない。
今年2015年はなんと国際土壌年!です。(この国際土壌年というものが決まったのは第68回の国連総会(2013年)ですので、なんとも耳に新しい言葉ですね。) ありがたいことに私自身、樹木医の立場にあって、国内外で実に様々な土壌に出会いかつ頭を悩ませる機会に恵まれました。 その経験の中でも特徴的なもののひとつに、とある人工島があります。
歳を重ねると、物忘れがひどくなってくる。誰しも感じる事ではないだろうか?我がN造園の先代親方である義父も例外ではない。 財布や携帯電話を忘れてくるなんて事は、しょっちゅうだ。仕事の帰りに家の鍵がないと騒ぎだし、帰ってみると玄関に刺さっていた・・・という話も、1度や2度ではない。
暦の上では立春は通り過ぎたが、まだまだ寒い日々が続いている平成27年2月7日に、朝焼けの大普賢岳(標高1780m)を見るため大阪を午前1時に出発。 大台ケ原ドライブウェイの入り口に到着すると、すぐ登山の用意をし、午前3時45分に出発。雪のため閉鎖されているドライブウェイを黙々と歩く。 思ったほど雪は少なく、スノーシューを付けなくても十分歩けるが、夜道は周りの景色が見えないのであまり気分はいいものではない。 歩くこと約3時間で、大峯奥掛道の展望が開ける場所に到着。寒い中、朝日が昇るのを待つ。風はほとんど無く、目の前には月と一緒に大普賢岳と修行の山で知られている山上ヶ岳(標高1719m)が良く見える。
2014年の正月から「稲村ヶ岳」(標高1,726m)の夕映えを撮るために、何度もチャレンジしているが、なかなかうまく撮ることができないでいた。 「稲村ヶ岳」が一番形良く、迫力ある姿で見える場所は、観音峰の南側にある観音峰展望台(標高約1,220m)である。 観音峰展望台は、登山道の入り口からはゆっくり歩いて約90分程で着くことが出来、非常に手頃な登山コースになっていて登山者も多い。夕映えを撮ろうと思えば、太陽が沈む時に山が晴れていて、夕陽が山に当たることが条件となってくる。 しかしせっかく山が晴れていても、夕方は太陽が雲に隠れ、夕陽が山に当たらないことが多い。また夕陽が当たっても肝心の山が雲で隠れていることもあり、なかなかこの条件を満たす瞬間は1年のうちでも限られてくる。 さて2014年もあとわずかの12月19日、登山口を13時30分過ぎに出発し。観音峰展望台を目指す。雪はあまり多くなくアイゼンなしでも進める。しばらく歩くと汗が出てきて、Tシャツ1枚でも寒くない。15時頃、観音峰展望台に到着。青空が広がり、雪をまとった稲村ヶ岳が目の前に見える。
平成26年8月4日の月曜日、仕事で約束を入れていたお客さんに電話を入れ面会をキャンセル。あちこちに電話連絡を済ませた頃、国道55線と国道194号線だけが開通しているという情報を得ました。国道55線は海沿いを走り室戸岬を経由して徳島県に抜けるルートです。194号線は山越えし瀬戸内海側に抜けるルートです。愛媛県西条市につながります。 ホテルのフロントで確認すると「55号線の方が平坦な道なので安全です。強風や高潮ではなく豪雨だけが問題なので海沿いの道の方が安全です。」との話です。車で来られている観光客は関西の人が多く、山越えの愛媛県に入る194号線より、55号線で徳島を目指す人が大半です。私も55号線で帰ろうと思いましたが、ふと、高知県樹木医会で私と同期生のHさんを思い出し電話してみました。 Hさんは高知県の支部長を長年されている方で信望の厚い樹木医です。Hさんのアドバイスは次ぎのようなものでした。55号線の室戸経由はすごく遠回りになる。普通に走っても徳島に抜けるのに4時間かかる。今日だと6時間では県境を越えられないだろう。また、降雨量が80mmを超えると通行止めになる箇所がある。そうなると立ち往生になる。 山越えの194号線はつい最近、全面的に整備された。一番の難関は立派なトンネルが開通している。車線幅も広くなって走りやすい。山は広葉樹林帯で斜面崩壊は少ないはずだ。山を超えると雨は少なくなる。瀬戸内側にでれば道路はなんら問題なくなる。大阪と逆に向かうように思われるが、194号線で西条市まで出なさい。とのアドバイスを頂いた。 そして一言「万が一崖崩れに巻き込まれでもしたらすぐに電話ください。樹木医会高知県支部会員で重機をもって駆けつけるから安心しなさい。」とのお言葉。何よりも心強い励ましでした。樹木医同期生はありがたいものです。
平成26年8月1日早朝に大阪を出発し、その晩は松山で宿泊。2日は松山で法事をすませ、夜に高知市内に移動。久しぶりに親孝行をと思い高知市内の旧土佐藩主山内家の敷地に建つ高級ホテルに予約を要れました。母親と叔母と女房を皿鉢料理と地酒で接待です。台湾から帰国してすぐに過酷なこの接待とは、我ながら良く頑張っているなと自画自賛です。 皿鉢料理に舌鼓をうっていると、大雨で高知道通行止めのニュースがテレビから流れてきました。先ほど走ってきた高速道路です。まあ、いずれにせよ高速道路が通行止めになる直前に、無事高知のホテルにたどり着いたのだからラッキーだったと、皿鉢料理と美味しい地酒で満足していました。 翌8月3日、朝からニュースは高知市内の川の氾濫を報じています。高知市内で床上、床下浸水、幹線道路が冠水、私が泊まっているホテルのすぐ近くを流れる鏡川も氾濫危険水位を超えた。そして高知市全域に避難勧告が出ています。「えらいこっちゃ!」 後で知ったことですが、高知市では当日372ミリの降雨を記録し、1886年の観測以来最多の大雨だったようです。8月1日から3日までの間に降った雨は1000mmを超えています。大変なときに高知市内に入ったものです。
平成26年8月2日の午後4時頃、松山から高知に向かって出発です。途中、陶芸で有名な松山市郊外の砥部焼きの窯元を訪れお皿を購入。ここから約2時間で高知市内に到着の予定です。道中で雨がだんだん激しくなってきましたが、何とか高知市内のホテルにたどり着きました。 ホテルに到着してすぐに高速道路高知道通行止めのニュースが流れてきました。台風11号の影響だと言う。「えっ!おかしい?」私は一昨日台風12号の影響から逃れて台湾から帰国してきたばかりではないか。なのに、なぜ台風11号が高知に? 台風11号はスピードが遅く、12号が先に台湾近郊を抜けて行ったようです。11号は遅かった分大型化し豪雨をもたらしました。結局この雨で高知市内に通じる全ての道が閉鎖され高知市は陸の孤島となってしまいました。そして私達は帰ることが出来なくなり翌日も高知市内で延泊です。会社も休むことになってしまいました。