大阪城天守閣の東側、内濠と外濠に囲まれた三角状の地形に梅林があります。
明治6年(1873)4月23日、大阪府は、政府の政策に基づき東区難波御堂内に「欧学校」を開校させました。 小学校の上級、中学校です。 その後、学制の変更や校名・組織の変更がありましたが、この欧学校が現在の大阪府立北野高等学校の鼻祖です。
昭和48年(1973)年10月6日に創立100周年記念式典が開かれ、翌10月7日に六稜同窓会記念総会が開催されました。 席上、同窓会会長から大阪市長に、大阪城公園内に梅林を造成する費用として、金2000万円の目録が贈呈されました。
その10年後、写真家の登野城弘氏と元近畿大学教授の鈴木登氏共著の「大阪城の梅花 登野城弘写真集(東邦出版)」が2003年3月に発行され、その冒頭に当時の東部方面公園事務所長が記述しています。
総面積は、約1.7haで93種、約1250本の梅の木が育っている。 六稜同窓会から22品種、880本の寄附を受け、昭和49年3月に梅林を開園した。 当時は、0.5haだったが昭和61年に現在の面積に拡張し、その時、33品種、1055本に成長した。 その後、移植や補植を繰り返して現在のようになった。現在は、約100品種 約1270本が植栽されています。
ところで、この写真集には86品種の写真が載っており、奈良在住の鈴木登樹木医が大変面白い解説をしています。
鈴木さんッて、こんなに面白い人だったッけ?
澤田清