還暦を迎えた4月、書を習いたいと思い立ち、教室に通うことにした。習字は小学生の時に習ったきりである。
 教室へ行ってみると立地柄か、生徒の大半は私よりもはるかに若い女性たちである。
 私は書道をしたかったのだが、いきなり毛筆を使うよりは筆ペンを勉強したらどうですか、という先生の助言により筆ペン習字から始めることにした。筆ペンといっても世の中は進んでおり、小筆と変わらない書き心地である。
 小学生以来の習字だ。楷書を書くことから始まる。さてこの楷書が難しい。
 初日に書かされた「一」の字が難しい。以前に習った「初めにドンとおいてスーッと引いてギュッと止める書き方」は古いと言われた。今は、まず「筆をすっと3の力で置いて、右に引きながら4の力にし、最後は5の力で止める」のだそうだ。3百回くらい書いて練習してから持って行ったが朱で直された。
 縦の線も同様に難しい。「楷書は縦と横の線が基本なので、これだけ勉強しても必ず上達しますよ」という先生の言葉を信じるほかはない。
 ウィキペディアによれば、楷書は、漢代の標準的な書体であった隷書体に代わって、南北朝から隋唐にかけて標準となった書体だそうである。行書体が確立した時代に発生したため、これらの中では最後に生まれた書体だとされている。唐時代までは「楷書」とは呼ばれず、「隷書」「真書」「正書」と呼ばれていた。書体の名称として「楷書」という用語が普及した時期は宋時代以降だという。

 さて、この楷書の「楷」の字は木偏。どのような木なのだろうかと気になった。楷書と名付けられた文字の性格や姿を連想させた「楷」という木は「楷書」の様に「カクカクした木」なのだろうか。
 楷の木、カイノキは中国原産のウルシ科の落葉高木で、中国では楷木、奥連木、黄連木と呼ばれ、台湾では欄心木(らんしんぼく)と呼ばれている。和名は「ナンバンハゼノキ」または「トネリバハゼノキ」という。学名は Pistacia chinensis Bunge。
 雌雄異株で樹高は20-30m、幹の直径は1mほどになる。現在、日本には数の少ない珍しい木とされている。写真で見る限り、別にカクカクした木ではなさそうだ。
 牧野富太郎博士は「孔子木」と名付けられた。その謂れはこうだ。2500年ほど前、儒学の祖「孔子」(紀元前552~479)が亡くなり、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬された時、彼を慕う門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えたという。その場所は「孔林」として今も残り、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された。さて、弟子の中一人「子貢(しこう)」は、門人たちが去った後もこの地にとどまって塚をつくり、「楷の木」を植えたという。この木が世代を超えて受け継がれているという。
 その後、科挙の合格者に模範となるようにと「楷の木」で作った笏(こつ)を与えたことから、「楷の木」は科挙の合格祈願木となったという。歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』とも言われるようになったという。また、楷の木で作った杖は「楷杖」として暴を戒めるために用いたとされる。このように、「楷」は中国では模範の木とされているという。日本でも楷の字の訓読みは「ノリ」。意味は「強くまっすぐ」「手本」である。

 楷の木が我が国に初めて移入されたのは大正4年(1915年)、当時、農商務省林業試験場の初代場長であった白澤保美博士が孔子の墓所から種を採取し、播いて育てた苗木が日本国内の孔子や儒学にゆかりのある湯島聖堂、足利学校、閑谷学校などに寄贈され、現存するということなので一度見てみたいものだと思っている。(大槻憲章)