我家のベランダから他人様のお屋敷の庭に咲く、桜花を眺めることができます。
花の色や枝の枝垂れ具合から2本ともソメイヨシノかなアと思いますが、確かめに行くこともできませんので、高みの見物と洒落こんでいます。
今年、2012年の満開は4月13日(金)でした。 10年前の2003年の同じ桜は、4月8日が満開でした。

 

2012.4.13

2012.4.13

 

2003.4.8

2003.4.8

 

私が小学校(当時は国民学校)に入学した1年生の「こくご」の最初は「サイタ、サイタ、サクラガ、サイタ」でした。 担任の先生は、桜は日本の国花だと、何遍もいっていたことを思い出します。
万葉集には、悲しい逸話が載っています。 桜は楽しいことばかりではありません。 こんな悲しい話もありました。 私の拙い現代語訳ですが、まあ、読んでください。
昔、乙女が居りました。 名前を桜児(さくらこ)といいました。 この時、2人の青年が、乙女に共に求婚して命を捨てる程の争いをし、死に執着しないで互いに敵対しました。 乙女は大変嘆いて、昔から今に到るまで、1人の女が2人の男の家に出入するとは聞いたことも見たこともない。 今、2人の青年は心を穏やかに仲良くなりがたい。 2人が互いに争うことを止めさせるには、私が死ぬのが一番だ、といいました。 そして林の中に入って行き、樹に首を吊って死にました。 2人の青年は悲しみ、血の涙を襟に滴らしながら、各々が想いを述べる歌を詠みました。
   
春さらば 插頭にせむと わが思ひし 桜の花は 散りにけるかも
   妹が名に かけたる桜 はな咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに

插頭(かざし)とは、かみさしの略で、奈良時代・平安時代に装飾として頭髪や冠などに花の枝や造花をさしました。 遊宴や儀式の際には花の種類が異なったり、插頭を飾る人の官位によっても花が異なったといわれていますが、桜は、どんな際の、どんな官位の人がさしていたのかはわかりません。
須佐之男命が櫛名田比売を湯津爪櫛に姿を変えさせて御角髪にさして、八俣大蛇を退治しました。 その後、須佐之男命と櫛名田比売は、めでたく結婚した、と古事記にありますので、最初の歌を詠んだ青年は古事記に書かれている話を知っていたのでしょうか? 自分も桜児を插頭に変えて髪にさし、他の1人と戦ってこれに勝ち、桜児と結婚したかったでしょうネ。

澤田 清