樹木医アラカルト2021-06-20T10:35:11+09:00

樹木医アラカルト

御堂筋のイチョウは戦火を生き延びたのか?

昭和20年3月13日深夜から翌14日未明にかけて、274機のB-29が大阪の街を火の海にしました。 御堂筋も例外ではなく、現在の中央区付近(旧南・東区)も焼け野原になりました。  御堂筋が完成したのは、昭和12年5月11日。イチョウは、昭和4年から12年にかけて植栽されました。 御堂筋に植栽されるまでの間、大正12年から大阪市直営旭区豊里苗圃にて育成されていました。

「やはり日本のもの創りはすごい」

私は先日、中国で土壌調査をしてまいりました。調査に際して日本から穴掘り道具を送りましたが、シャベル(ケンスコ)だけはどこにでもあるので、現地調達することにしました。なんと新品の中国製ケンスコは、少し穴を掘っただけで柄が根本から折れてしまい使い物にならなくなり非常に困りました。それに比べて日本から送った金象印の複式ショベル(ダブルスコップ)とらせん穴あけ器の素晴らしいこと。穴掘り道具もやはり日本製が優れています。

お前の時代は終わった!!

おオ、 プリントゴッコよオ。 永い間、ご苦労さん。 お前の時代は終わったヨ。  本当に永い間、ご苦労をかけたネ。 私がプリントゴッコを買ったのは、昭和56年の年末だった。 その1年前の年末に、プラッと立ち寄った百貨店で実演販売をしていた。  半時間ほど、眺めていただろうか。 欲しいなアと思ったけれど金1万円也。 流石に手が出なかった。 次の年の年末、清水の舞台から…エイッ!  1万円で買った。 昭和57年の年賀状から平成23年の年賀状まで、実に30年間の年賀状作り。 近畿樹木医会の総会と現地研修会の出欠返信用のハガキの印刷。近畿樹木医会は平成4年に1期9名、2期10名で発足したが、平成21年は300名を越す人数になったので、プリントゴッコは重宝した。

ハサミは海を越えて

 秋を超えて冬に入りつつある季節に海を越えて、樹木の移植のため向かった地は、インドネシア、赤道を少し南側に超えた常夏の島。予想はしていましたが、真っ赤な粘土質の大地と四季のない赤道直下の気候と年輪なく生長する樹木、根が日本では考えられないほど旺盛に伸び、しかし日本の樹木のように葉は密集したりせず、まるで透かし剪定でもしたかのような木々。  何から何まで面白くてたまりません。木陰は大阪の夏より涼しく、町は活気にあふれ、メシもうまい。例えば現地のパダン料理は香味野菜を鼻の奥にねじ込んでくるが如く強烈な風味でありながらも塩分は控えめで、深~い味わい。自分の好みを直撃です。

地獄耳

 私はN造園で働いている。  一緒に働いている親方は、とてもおおらかな性格で優しい人だ。そして、彼はとても身体が丈夫である。健康診断を受けても、何一つ悪いところが無い。我々のような職業は身体が資本なので、とてもありがたいことである。が、唯一悪いところを挙げるとすれば、少し耳が遠いことだろうか・・・。

皆既月食

 12月10日(土)は、滋賀県で樹木の現地研修会が実施され、月の名所の長浜市高月町にも行きましたが、月といえば、その夜、日本では皆既月食がみられました。  皆既月食というから、太陽の光が地球にさえぎられて月が真っ黒になり、見えなくなるのかと思っていたら、酒に酔ったようにほんのり赤くなり、しっかりと見えました。 これは太陽の波長の長い赤い光だけが地球の大気層で拡散されにくいため月に届き赤くなるそうです。

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