瓢(ふくべ)型手水鉢

瓢(ふくべ)型手水鉢

 

 妙国寺と言えばソテツが有名であるが、千利休寄進の瓢(ふくべ)型手水鉢も忘れてはならない。この手水鉢はこれだけをみると何の変哲もない物で、利休ゆかりの品というには余りにも面白みがない手水鉢にみえる。ただ一つ変わったところがあるとすれば、水抜き穴があいているところである。そこでその穴について考えてみた。

 千利休と言えばまず思い浮かぶのは「おもてなしの心」である。その思いから考えると、「水を抜く」ではなくて「水を満たす」穴ではないか、噴泉の穴ということであれば利休らしくて面白い。

 ではどうやって水を出すのか考えてみる。普通は川から懸け樋で水を引く。ここでは土居川が
近くにあるので、この水を水車で持ち上げ、懸け樋を流れた水が軒上の桶に溜まり、上からの水圧を利用して水を噴出させるという方法だろう。もちろん噴出させるには桶と手水鉢をパイプでつなぐ必要があるが、銅板を丸めて筒状にパイプを作るのは当時の技術では容易に出来たであろう。手水鉢の穴の下には左上から右下にかかる大きな溝があり、深さ7~8cm、巾4~5cm程でパイプを隠すには手ごろな大きさである。パイプを埋めて漆喰をかぶせ、その上にシダや苔等を配置すればパイプの存在はまったく判らなくなる。水の出口も水鉢の底にある為、光の屈折により見えなくなるであろう。

 ところが、土居川の水では、いくら当時はきれいな水であったと言っても「おもてなしの心」には程遠いものがあり、お客様に対する気配りを考えると、井戸の水を利用するであろう。
 現在のように、水道の蛇口をひねると水が出るという時代ではないので、井戸の水の利用の仕方にも工夫を凝らしたに違いない。

 一番簡単な方法を考えてみた。
 井戸の蓋に2か所穴をあけ、1か所には銅板のパイプを水面まで差し込み、もう1か所は足踏み式のふいごと 接続しておく。井戸の内部は漆喰や粘土で密閉してしまう。ふいごに風を送り、
圧力をかけることにより、パイプを伝って水を送り出すという方法はどうであろう。客が見えたときに、寺の小僧にでもふいごを踏ませると、その間は水が出ているという考えである。もちろん小僧や井戸は衝立で仕切られ、客の目に触れることはないし、パイプも地面に埋めて見えなくする。

 当時、なんでもない石から水がわくという事は、世間の人々を非常に驚かすことであっただろうし、こういったシステムそのものを寄進した、利休という人物の奥の深さを物語るものではないだろうか。
 
すべては私の空想の産物ですが 。                        MM:記