秋の夕日に 照る山紅葉(やまもみじ)
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの 裾模様(すそもよう)
「この唱歌は、明治44年6月 尋常小学唱歌 の第2学年用に載っていました。 2年生用の唱歌にしては、むずかしい詞を使ってありますが、美しい叙景と古典ともいえる曲調は愛唱に価する歌です。」
この歌詞と解説は、1998年9月に6刷が発行された(株)野ばら社の「唱歌」という本に書かれている一文です。 作詞は高野辰之先生、作曲は岡野貞一先生で、このお二人によって「春が来た 春が来た どこに来た」(明治43年7月) 「白地に赤く 日の丸染めて」(明治44年5月) 「うさぎ追いし かの山」(大正3年6月) 「菜の花畠に 夕日薄れ」(大正3年6月) など、正に叙景的な名曲を数多く作られています。
「紅葉」(もみじ)という題の「秋の夕日に」には、おかしいところがあります。 「照る山紅葉」の山紅葉には、振り仮名が付けてあり「やまもみじ」とあります。 ところがカエデ科カエデ属にヤマモミジという品種があって、主として日本海側の青森県から福井県に至る多雪地の山地に自生しています。
この歌詞の「山紅葉」は、山に生えている紅葉の全てをいっているのでしょうか。 それともヤマモミジという品種を指しているのでしょうか。 いずれにしましても第3小節の「楓」(かえで)は、どう説明すればよいのでしょうか。 「もみじ」も「かえで」も全てカエデ科の植物ですから。
「新訂 原色樹木大圖鑑」(北隆館 新訂版初版 平成16年4月)の201頁 「フウ」の説明に「フウの和名は漢名「楓」の音読みである。 ふつう日本ではカエデに楓の字をあてているが、これは誤りである。」と書かれています。
「楓」は魏志倭人伝に「楓香」(ふうこう)として出てきます。 3世紀の日本には、豫樟(クスノキ)や杼(クヌギ)が自生している。 そのほか橿(常緑のカシ)や楓香が書かれています。 魏志倭人伝を編訳された茨城大学名誉教授の石原道博先生は、楓香のことを「おかつら」と説明されています。 「新訂 魏志倭人伝」(岩波文庫 2004年1月 第74刷) この「おかつら」とは、カツラ科のカツラの別名です。
ところが京都大学名誉教授で植物分類学の大家・北村四郎先生は、「(魏志倭人伝には)楓香とあります。 これは楓(フウ)でございます。 これは(魏志倭人伝の)間違いでございまして、こんなものは(当時の)日本にはなかった。 これは享保12年(1727年)に中国から入れたものでございます。」(魏志倭人伝の植物 湯川秀樹対談集 人間の発見 昭和51年1月)
これによって「楓」は、マンサク科のフウ、別名タイワンフウであることが理解できましたが、さて、漢字でカエデという字はどんな字を書くのか、調べてみました。「森林家必携 樹木要覧」((財)林野弘済会 昭和50年1月 大改訂新版67版)
カエデ科は、「槭樹科」 樹木名のカエデは、丹葉、栬、暴馬、槭樹、蝦手、機樹、霜葉がありました。
こんな字が全てカエデと読めますか? 強いて漢字で、といえばカエデ科と同じ字の槭樹でしょうか。 私はそう思います。 皆さん、いかがでしょうか?
澤田 清