珠尓奴久 阿布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
これは、万葉集の巻17・3910に出てくる「あふち」(標準和名センダン)を詠んだもので、
大伴書持(ふみもち)が奈良の家から
「珠(たま)に貫(ぬ)く あふちを家に植えたらば 山ほととぎす 離(か)れず来(こ)むかも」
と兄の大伴家持に贈った歌です。 これに対して大伴家持は久邇の都から
「ほととぎす あふちの枝に 行きていば 花は散らむな 珠を見るまで」(巻17-3913)
と返事の歌を出しています。
万葉集には「あふち」を詠んだ歌が4首あります。
この4首のうちに「あふちの花」が散ることを詠んだものが3首あります。
「妹(いも)が見し あふちの花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干(ひ)なくに」(山上憶良 巻5-798)
山上憶良が60歳から70歳くらいの間に筑前国守に赴任していますが、奈良の都で亡くなった妻をしのんで詠んだ歌だといわれています。
「我妹子に あふちの花は 散り過ぎず 今咲けるごと ありこせぬかも」(よみ人知らず 巻10-1973)
これと大伴家持の巻17-3913が「散ること」を詠んでいます。
万葉の人びとは、「花が散ること」に深い印象を持っていたかも知れませんので、万葉集に出てくる「桜」と「梅」を詠んだ歌のなかに「散る」という文字が書かれている歌を調べてみました。
「桜花が散る」は、全41首中14首で33%
「梅花が散る」は、全112首中40首で35%
「桜」「梅」は、共に3分の1が「散る」を詠んでいました。
澤田 清