「京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は・・・」
 これは明治44年5月 「尋常小学唱歌1」に載った伝説的歴史話を題材にしたもので、なつかしい歌の一つです。皆さんもよく御存知のことと思います。 ところがこの五条大橋が水害で流失したことは、案外、知られていません。
 今から78年前の昭和10年6月29日、京都市内は大水害に襲われました。 当時の大阪朝日新聞夕刊の記事を紹介します。
 
 坪当たり四石三斗六升といふ京都測候所はじまって以来の大豪雨が28日夕刻から京都市を襲ひ加茂川に架けた二十一橋のうち、一夜のうちの三条・五条の両大橋をはじめ十六橋が押し流され、鉄筋コンクリートの橋も七橋まで一気に流してしまひ、一万二千三百戸に浸水し、山の手の都市として市民が想像もつかなかったやうな恐怖状態を出現した。
 29日午後2時半ごろにいたって市街を奔流する濁水だけは退いたが、メイン・ストリートにボートが残っており、泥土が幾尺も積もっていたり、一時、通行を許していた四条大橋がふたたび危険になって通行を禁止し、軍隊を増派するなど安心を許さぬ状態である。

 蛇足ながら、母校で「京の川ものがたり」という講演会があり、平安時代から鴨川の治水対策に力を入れていた話に続いて、近年では、昭和10年の「鴨川大洪水」の話がありました。 講演会終了後、私は先生のもとに行き、「母が産院のベッドに横たわっているとき、ラジオのお昼のニュースで五条大橋が流失したことを話していたという。 その夕方、私が生まれた。」 これを話しました。 私よりも一回り程若い先生でしたが、大変感激されて、資料を頂戴しました。

 以上、昔にも6月末に大水害があったことと、私が雨男と呼ばれる所以を記してみました。

 澤田 清

 

昭和10年6月29日京都五条大橋

昭和10年6月29日京都五条大橋

 

昭和10年6月29日京都大水害

昭和10年6月29日京都大水害

 

昭和10年6月29日大水害

昭和10年6月29日大水害