About 鴻原弘樹

この作成者は詳細を入力していません
So far 鴻原弘樹 has created 290 blog entries.
7 02, 2011

高所作業車

2011-02-07T22:03:32+09:00

 木材腐朽菌モデル現地検討会が3月1日に開催されます。  2月6日には地上部分の落下の危険のある枯れ枝を撤去する作業を行いました。  12メートルの高所作業車で樹高10メートルのシラカシの先端部に迫ります。  枯れ枝の状況が良く分かりますね。  この後、樹に登った樹木医と高所作業車の樹木医が連携して枯れ枝を撤去していきます。  足がすくみます。笑顔で作業をされる樹木医各位に脱帽ですが、ヘルメットは絶対着用です。  センペルセコイアの整枝作業では20メートルの高所作業車を使われるそうです。  手間はかかりますが、樹木の美容と健康のためには高所作業車による剪定が良いですね。                                   ミヤモト        

高所作業車2011-02-07T22:03:32+09:00
7 02, 2011

剪定バサミと剪定された断面

2011-02-07T21:48:41+09:00

 樹木を切る時に使われる道具、となりますと刃物ですが、刃物には大きく分けて3種類あります。一つはナイフのように切るもの。もう一つはノコギリやヤスリのように、基本的には削るもの。そして、全く別の作用を利用するハサミ。  ハサミは切れる!という印象がとても強いのですが、実際のところカッターナイフや小刀のように鋭利ではありません。仮にハサミを手に持って、その片方の刃で木を削っても、とても小刀やナイフのような切れ味は、さっぱりありません。  しかし木の枝を切るには、やっぱりハサミが必要です。アートナイフのように極めて鋭利な刃物なら、より硬い枝がスパスパ切れるんじゃないかなと思うのですが、現実は全く反対でナイフなどではせいぜい挿し木や接木の小枝を切るのがやっとなのです。  太い枝・硬い枝を切るとなりますと、そこは剪定バサミの登場です。        剪定バサミを観察しますと、片方の刃は“刃”とはとても言えない受け刃(ほぼ、ただの角を持った金属板)になっており、片方は大きな刃となっています。      これは実に不思議です。片方は刃らしい刃がないのに、しかし大きな枝が切れる。ナイフのようなもっと鋭利な刃ものでは切れないのに・・・です。しかしこれこそが鋏の芸術的な構造、機構なのです。単にテコの原理でどうこうという訳でもありません。(テコの原理だけですとペンチやヤットコのような機構になりますが、それではもぎってちぎるような結果になります。) ハサミとは、ある一点にだけ力が集約することで、対象を切断するという素晴らしい仕組みを持った芸術品であり、いかに一点に力を余さずそらさず集約するかということについて、例えばそりやすきなどの技法が追求され、刀の技法と同様に軟鉄と鋼鉄の層構造さえも飲み込み、新たにバナジウム鋼やステンレスなどの合金までも貪欲に取り入れつつ、カッターやナイフとは全く異なり、剪断応力を引き出すため今尚進化しつづける精密機械なのです。      刃物というよりは、剪断応力の化身、それがハサミ。  極端な話、安全な鋏ということで、刃が全く切れないように刃をなめしたハサミさえあり、人体は切れなくとも、物体は切れるというハサミまであるくらいです。鋏にとって問題なのは、刃の鋭さではないわけですね。ハサミの切れ味は刃と刃がいかに厳密に点接触するかどうかによるわけで、点接触さえしていれば、刃がぼろぼろになった鋏でさえ、切断する能力を存分に発揮します。では、何故私は鋏を研ぐのか??  それは刃と受け刃が点接触するまでの過程が問題なのです。  ハサミは、仮に両刃が四角い鉄板同士でも、きちんと点接触するのであれば、切れます。  しかし点接触が起こる寸前まで、切断される対象は何が、2枚の鉄でひたすら押しつぶされていきます。ぎゅっ~と押しつぶされて、刃と刃が接触して剪断が生じます。これが良く切れる刃の場合は圧縮、押しつぶしが起きる前に対象は押し切られていくので、組織の破壊度が全く違ってくるわけです。  ちょっと実験してみましょう。  まず発生して1年以内の柿の枝を1本用意します。実験する部分で、枝の直径は細い先端で6mm、太い部分で9mmです。      次に刃がぼろぼろな剪定バサミと研いだ剪定バサミの2本を用意します。刃がぼろぼろな剪定バサミで切断する途中で切断部分に緑色の染料インクをたらします。(染料系のインクの色素は顔料系のインクより粒子が細かく、液体の浸透を確認するには適しているからです。)同じように、よく研いだ鋏で切断する部分に、赤インクをたらして、それぞれ切断します。同様に切断寸前の枝にもインクをたらします。      そして切断した断面を作るため、鋭利なアートナイフで切ります。(ハサミのようにサクっとは切れません。ナイフにはなかなか重い作業です。)  そして観察しますと、刃がぼろぼろの剪定バサミで切った断面は      やはりぼろぼろの鋏ですと、断面は荒れています。  一方の研いだハサミでは      緑とは断面の状態が随分違うことがわかります。ツルっとしていますね。  次に剪定バサミによる断面から2mm程度深い部分の断面の状態を観察します。      インクが内部まで染みています。  これは押しつぶされた組織が復元する時に、スポイトのようにインクを吸い上げたことによります。  研ぎたてのハサミを使った赤い方では      緑と比べて、インクが染みている部分はわずかです。 [...]

剪定バサミと剪定された断面2011-02-07T21:48:41+09:00
30 01, 2011

大阪南港の貯木池

2011-01-30T12:59:05+09:00

     ここは大阪府柏原市です。奈良から大阪へ流れてきた大和川と、大阪南部から北へ流れてきた石川が、ここ柏原市役所の前で合流します。合流した大和川は西へ流れて大阪湾へ続いています。        この大和川の合流地点の堤防上を西へ(大阪湾の方へ)続く道があります。見晴らしが良く気持ちの良い道です。この道は自動車の通行が禁止されてるため、安心してウォーキングやサイクリングができます。ここから大和川の河口までは、このような気持ちの良い道と一般道を行き来しながら、距離にして20km程です。20kmといえばウォーキングには距離が長すぎますが、サイクリングなら速い人で1時間程度、のんびり進んでも1時間半くらいで行けそうです。道は平坦でアップダウンはほとんどなく、ほぼ一本道の容易な道です。      今日はいい天気ですから、この道を河口の辺りまでサイクリングしてみましょう。それでは出発します。        数km進みました。  ハァ、ハァ、ハァ・・・苦しいです。海からの強烈な向かい風が堤防上に吹き付けます。確かに道は平坦ですが、この強烈な向かい風のため坂を登ってるような苦しさです。これは誤算でした。ここから河口まで10km以上も登坂かと思うと泣きたくなってきます。        我慢しても何も得ることのない苦しみに耐えて、さらに数km進みました。ここまで来ると海に近づいてることがわかります。川幅が広くなり、カモメが群れ、わずかに磯の香りが感じられます。あともう少しです。        ついに大和川の河口の辺りまでやってきました。この大阪市住之江区の一画に木材加工場の集まる地区があります。住之江競艇場から西へ1~2km進んだ所の区域です。道路沿いに木材が積み上げられてますのですぐにわかります。        そして、この区域に貯木池があります。ですが、この貯木池に木材はありません。水面だけが広がる寂しい光景です。そういえば周辺の木材加工場に活気が無かったような気がします。国内林業の衰退、製造工場の国外移転などにより、この貯木池はもう使われなくなったのでしょうか。  畑作におけるナス、ニンジン、タマネギなどのように、樹木は林業における林産物でもありますし、木工製品の原料でもあります。しかし、近年は樹木といえば自然環境や都市緑化の側面から語られることが多く、こういった林産物の面から樹木を見る意識が希薄になってるように思います。そのことが、この貯木池の光景に現れてるのでしょう。  そんなことを思いながら眺めてると、ふと、足元の水面に何か動くものが見えました。亀ではありません。小さい哺乳類のようです。その小動物はゆっくりと泳いで岸へ近づいてきました。      そして岸へ上がったところをよく見ると、それは大型のネズミのように見えます。猫より一回り小さいくらいの大きさですから、ネズミとしてはかなりの大型です。もしかすると、これが外来ネズミのヌートリアというものでしょうか。この小動物は岸辺でしばらく毛繕いをした後、水中へ戻っていきました。  打ち捨てられたかのような寂れた貯木池。そのドス黒く濁った水面から現れてゴミの散乱する岸辺に這い上がる巨大ネズミ。居た堪れずにその場を去りました。 (うどん子)

大阪南港の貯木池2011-01-30T12:59:05+09:00
30 01, 2011

樹木巡礼 ブログ版 ②

2011-01-30T12:34:54+09:00

   プロゴルファー宮里藍さんの故郷、沖縄県東村(ひ がしそん)の道の駅でマンゴーカステラとパイナップ ルのポン酢(沖縄本島の北部の土壌は強烈な赤土でP Hは4ぐらいでパイナップルが特産です)を買って、 村役場で地図をもらい車で走ること約10分、そぼ降 る南国の雨の中ひと気のない川沿いの森に包まれるよ うに、板根は優美な曲線を描いています、樹の持つ環 境への適応力としたたかさに加えて、その造形の美し さに脱帽です、、、。カワグチ。。。

樹木巡礼 ブログ版 ②2011-01-30T12:34:54+09:00
23 01, 2011

藪医の日記より(アレロパシーについて)

2011-01-23T22:59:46+09:00

 庭に野良猫が入ってきて困ったとき、その対策で猫の忌避剤を使ったことがありましたが、有効性は感じられませんでした。その後、柑橘類の皮とコーヒーの濾し殻を猫が嫌がることを聞いて、それを庭に撒いて猫を遠ざけることを試みました。    柑橘類の皮は効いたように思いましたが、コーヒーの方ははっきりしませんでした。しかし、コーヒーの濾し殻を撒いた場所に雑草が少ないことに気がつきました。しばらくすると、雑草ばかりでなく植木にも影響が出てきたので使用を辞めた経過があります。この作用がアレロパシー(他感作用)であるいうことが分かり、専門書を調べるとアレロパシーは、数多くの植物でも確認されていて、その利用の研究もなされています。    また植物の遷移でも調査されていて、ヨモギ属がカラムギ、ハマチャヒキを排除して、灌木形成をしている現象が知られています。  樹木ではアカマツの下で、イヌタデ、ハキダメギクの生育が悪くなる現象が確認されています。ナギは生育が大変遅い植物ですが、その樹林で下草が生えない報告があります。奈良の春日大社の裏山のナギ樹林で、この作用が確認されています。その他、街路樹にも植栽されているタマリンドは、その樹下でテントを張ると、テントの布がぼろぼろになるという報告がありますが、この作用は葉から出る有機酸が原因で起こり、その下に生える雑草も抑えられています。  アレロパシーは植物の病原菌の生育抑制や殺菌作用を示すことも研究されており、古くから農法で輪作、間作、混植が行われています。具体的にはコンニャク畑にエンバク、ユーガオ畑にネギの混植でコンニャクの乾腐病、ユウガオの土壌病害が抑制されることがあります。  庭で経験したコーヒーによる雑草への作用は、コーヒーに含まれているカフェインがハリビユ、カラスムギ、イヌビユの発芽抑制に働いたアレロパシー(他感作用)でした。  自然の働きに驚きと、面白さを知った次第です。樹木や庭の草花を扱っていると多くの不思議な現象を見ることができるので、今後も注意深く観察していこうと思っています。                                   T O 生

藪医の日記より(アレロパシーについて)2011-01-23T22:59:46+09:00
21 01, 2011

台湾のクスノキ巨木治療痕から

2011-01-21T23:19:33+09:00

   現在(1月20日)台湾に来ています。1月16日早朝、氷が張る寒い大阪を震えながら出発し、暖かい台湾に向かいました。  ところが台北の空港から表に出れば大阪と変わらない気温。今年の台湾は寒い日が非常に多いとの話です。薄着しか持ってきておらず、早々に防寒用作業ジャンバーを購入する羽目になってしまいました。  今回の台湾出張は、宜蘭縣と台中縣を主体に回りました。宜蘭の街から山を見ると雪化粧しているではありませんか。宜蘭では二日間土壌調査を実施し、それから台中に向かいました。台中では20度をこえる気温になり購入したジャンバーが邪魔になる始末です。九州とほぼ一緒の面積という狭い国ながら、山の上では温帯、北部の平地は亜熱帯、南部の平地は熱帯と変化に富んだ気候帯を持ち合わせる国です。  台中縣では豊原市というところで、「澤民樹」と命名された樹齢1000年を超えると言われる大きなクスノキを見てきました。2本のクスノキが根元部で癒合し、数匹の大蛇がうねったような独特な樹形をしています。葉が少し矮小化し、葉数もちょっと少なく衰退傾向が見受けられる状況ですが、老巨木としては元気なほうで立派なクスノキです。  そのクスノキに奇妙な治療がされていました。腐朽開口部と見られるところにお椀を伏せたような形にウレタンが盛られ、赤茶色に塗装だけなされています。空洞部に詰め物をするのが良いのかどうかの議論もありますが、それ以前にこの形状で詰め物をするのはダメだろうと樹木医さんなら誰でも分るような治療方法です。  集まっていた地域の人に聞きましたところ(もちろん通訳を介して)、以前ここを訪ねた日本の樹木医さんからやり方を聞いて、樹木医さんの立会いなしに地元のボランティアで処置を施したようです。      これは我々も気をつけなくてはと思わされた次第です。良かれと思っての指導であったとしても、場合によっては悪影響につながる可能性があることを考えさせられました。  私は明日(21日)大阪に帰ります。入れ違いに大槻樹木医が台湾旅行と聞いています。どうか気候変化に備えてお越し下さい。 笠松滋久

台湾のクスノキ巨木治療痕から2011-01-21T23:19:33+09:00
18 01, 2011

葉が落ちないのに「落羽松」とはこれ如何に!

2011-01-18T22:46:40+09:00

     見出しの問いかけに「緑色なのに「赤樫」と言うが如し」と答えたいところですが、アカガシは材が赤いのでこの名が付いたのですね。  さて本題。厳冬1月のある日、鶴見緑地の「生き生き地球館」の裏側の生態園に青々と茂った針葉樹を見つけました。近寄って見ると、葉の様子はまさしくラクウショウです。これは「メキシコ落羽松」とプレートにあります。  鶴見緑地のメインエントランスにメタセコイアと共に並んでいるラクウショウ(別名ヌマスギ)はもうとっくに茶色の葉を散らしています。そこで表題のような問いかけになったのです。よく似た樹形と葉を持つ2種類のラクウショウですが、生理的には違うようです。それで少し調べてみました。  ウェブサイトの「ボタニックガーデン」によれば、「ラクウショウは、スギ科 ヌマスギ属、学名はTaxodium distichumで、北アメリカの東部からメキシコ湾岸、それにミシシッピー川流域に分布。流れのある湿地帯や川岸の湿ったところに生え、高さは20メートルほどになり、地中または水中から呼吸根を出す。雌雄異株。花期は春。」と要約できます。  別のサイトの情報では、「アメリカ大陸の東南部からメキシコに分布する落葉の高木」と説明されているものがいくつかあります。      一方、メキシコラクウショウは、スギ科ヌマスギ属の常緑高木または半常緑高木で、学名は「Taxodium mucronatum」。同じ「ボタニックガーデン」の記述をまとめると、「アメリカの中南部、テキサス州南部のリオグランデ渓谷からメキシコ、グアテマラに分布。河岸や湿地などに生え、高さは15~30メートルになる。秋に落葉しないのが特徴。メキシコの国の木に指定されている」とのことです。  どちらも同じような地域の原産? どうちがうの? 常緑と落葉の違いだけ?  そこで、いまや古典の書物ですが、上原敬二氏の「樹木大図説」を取り出し、その説明を要約すると、「メキシコラクウショウは、半常緑喬木、雌雄同株、2年目に短枝とともに落葉するもの、3年目に落ちるものとがある。花はラクウショウと異なり秋に咲く。メキシコ南部の温帯地方、海抜1400から2300メートルに生じる。高さ50メートル。直径6メートルに達する。昔はラクウショウとともに同じ地方に生育していたものが、気候の変化から、アメリカ南部とメキシコに別れ別々の生育地を占めるようになったが、地方的変異であっても本種のほうが祖先の形態を持つとされている。世界の巨木の1つに数えられるものが確認されている。」とあります。  これから判断すると、両種は樹形、葉の形などはきわめてよく似ているが、ラクウショウは落葉で春に花が咲く。メキシコラクウショウは常緑又は半落葉で花期は秋、という大きな違いがあります。分布も、ラクウショウはアメリカ合衆国南東部、メキシコラクウショウはメキシコなど。付け加えると、ラクウショウの大きな特徴である呼吸根(膝)が、メキシコラクウショウでは出来ないのか目立たないようです。さらに付け加えると、メキシコラクウショウは非常な大木になるということです。  ウィキペディアによると、世界一太い木として、「メキシコはオアハカ州サンタ・マリア・デル・トゥーレに所在するメキシコラクウショウの一個体。2005年時点での計測によると幹周36.2m、直径11.6m、樹高約35m。」とあります。      私は、三十数年、「公園」をやってきて、ラクウショウもメタセコイアも植えましたが、メキシコラクウショウは初対面でした。まだまだ知らない事がたくさんあるようです。勉強不足を反省しました。                                            (大槻 憲章)

葉が落ちないのに「落羽松」とはこれ如何に!2011-01-18T22:46:40+09:00
8 01, 2011

コナラの独り言

2011-01-08T21:49:18+09:00

     わたしはコナラです。  身体はとても大きいのだけれどあまり知られていません。  サイズですかぁ?     高さは約18㍍、周囲は304㌢、そして自慢できるのが  葉張りです。四方に約28㍍拡がっています。  先月のこと、バイクに乗ったお兄さんが測ってくれました。  数年前に枝の散髪をしてくれたお兄さんだと思います。  「来年の6月までにカシナガ対策をしなければ…」とその  お兄さんは言っていたように思います。  なにか怖い病気が私を狙っているようです。  私は「みのり橋」という橋の近くに住んでいます。  一度みなさん私に会いにきてくださいませんか。  -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------    先日、当NPOへコナラさんから投稿がありました。  私たちでこのコナラさんに何か対策を取れることはないでしょうか?  目立たないですが、その枝ぶりは稀有の存在だそうです。    会員のみなさまご検討を!  mube

コナラの独り言2011-01-08T21:49:18+09:00
4 01, 2011

炭焼きしてます

2011-01-04T22:37:35+09:00

   保水性を改善し空気を貯える空間を豊富に持った炭は土壌改良資材として利用されてきました。  また最近は炭と菌根菌を組み合わせた樹勢回復法も各地で行われています。  樹勢回復に用いる炭は備長炭に代表される白炭ではなく比較的低い温度で焼かれた黒炭や消炭が良いようです。 宅地造成のために伐採することになった広葉樹や竹をなにか利用出来ないかという要望があり、伐採材を利用した炭焼きを提案し実施しています。  里山に作られた炭焼き窯やドラム缶窯で炭を焼くのではなく、今回使用したのはステンレス鋼板で作られた無煙炭化器という装置。 “これで炭ができるの?”という思いを誰もが持ちますが、炭を焼くときに煙が発生しないため苦情がでないという優れものです。(市役所、消防署には炭を焼く旨の届け出をしています!) 点火時には少し煙が立ち上るのですが高温での燃焼のためかすぐに無煙となります。 どんどんと伐採材を投入し5時間ほどでこの装置が炭でいっぱいに。 容積にして600L程度できあがりました。 できあがった炭はかなり砕けた状態のもの。      これをもう少し砕いたものを植栽時に土壌改良材として5%程度入れて利用する予定です。 それからせっかく炭焼きするのに飾り等に利用する炭はできないかと考え、オイル缶の中に材料を小切って詰め込み炭化器に投入したところ約3時間でそこそこのものができあがりました!           これは近隣住民さんへの配付用にしようかと検討中です。 (ニシ)

炭焼きしてます2011-01-04T22:37:35+09:00
3 01, 2011

妙国寺の手水鉢

2011-01-03T23:01:22+09:00

   妙国寺と言えばソテツが有名であるが、千利休寄進の瓢(ふくべ)型手水鉢も忘れてはならない。この手水鉢はこれだけをみると何の変哲もない物で、利休ゆかりの品というには余りにも面白みがない手水鉢にみえる。ただ一つ変わったところがあるとすれば、水抜き穴があいているところである。そこでその穴について考えてみた。  千利休と言えばまず思い浮かぶのは「おもてなしの心」である。その思いから考えると、「水を抜く」ではなくて「水を満たす」穴ではないか、噴泉の穴ということであれば利休らしくて面白い。  ではどうやって水を出すのか考えてみる。普通は川から懸け樋で水を引く。ここでは土居川が 近くにあるので、この水を水車で持ち上げ、懸け樋を流れた水が軒上の桶に溜まり、上からの水圧を利用して水を噴出させるという方法だろう。もちろん噴出させるには桶と手水鉢をパイプでつなぐ必要があるが、銅板を丸めて筒状にパイプを作るのは当時の技術では容易に出来たであろう。手水鉢の穴の下には左上から右下にかかる大きな溝があり、深さ7~8cm、巾4~5cm程でパイプを隠すには手ごろな大きさである。パイプを埋めて漆喰をかぶせ、その上にシダや苔等を配置すればパイプの存在はまったく判らなくなる。水の出口も水鉢の底にある為、光の屈折により見えなくなるであろう。  ところが、土居川の水では、いくら当時はきれいな水であったと言っても「おもてなしの心」には程遠いものがあり、お客様に対する気配りを考えると、井戸の水を利用するであろう。  現在のように、水道の蛇口をひねると水が出るという時代ではないので、井戸の水の利用の仕方にも工夫を凝らしたに違いない。  一番簡単な方法を考えてみた。  井戸の蓋に2か所穴をあけ、1か所には銅板のパイプを水面まで差し込み、もう1か所は足踏み式のふいごと 接続しておく。井戸の内部は漆喰や粘土で密閉してしまう。ふいごに風を送り、 圧力をかけることにより、パイプを伝って水を送り出すという方法はどうであろう。客が見えたときに、寺の小僧にでもふいごを踏ませると、その間は水が出ているという考えである。もちろん小僧や井戸は衝立で仕切られ、客の目に触れることはないし、パイプも地面に埋めて見えなくする。  当時、なんでもない石から水がわくという事は、世間の人々を非常に驚かすことであっただろうし、こういったシステムそのものを寄進した、利休という人物の奥の深さを物語るものではないだろうか。   すべては私の空想の産物ですが 。                        MM:記

妙国寺の手水鉢2011-01-03T23:01:22+09:00
Go to Top