関東の一本桜と校庭のサクラ
鴻原弘樹2012-04-16T22:31:58+09:00平成24年4月11日、東京は冷たい小雨模様で、都心では桜吹雪の強風が吹いていました。 翌4月12日は、前日の天気とはうって変わって快晴で気温も上り、ポカポカの陽気でした。 そんななか最初に行ったのが、埼玉県北本市にある「石戸蒲ザクラ」です。 石戸蒲ザクラは、日本五大桜に数えられる名木で、品種はエドヒガンとヤマザクラ の交配種です。
平成24年4月11日、東京は冷たい小雨模様で、都心では桜吹雪の強風が吹いていました。 翌4月12日は、前日の天気とはうって変わって快晴で気温も上り、ポカポカの陽気でした。 そんななか最初に行ったのが、埼玉県北本市にある「石戸蒲ザクラ」です。 石戸蒲ザクラは、日本五大桜に数えられる名木で、品種はエドヒガンとヤマザクラ の交配種です。
そのなかにチッ・チッ・チッと小さな声が聞こえますので、ベランダに出てみたら ツバメが3羽、空中戦をしていました。 今年初めて見たツバメです。 平成23年は4月15日(金)が初見でしたので、平成24年は1日遅い初物です。
今年の桜の開花は、本州では3月21日に高知からスタートしましたが、2月、3月の平均気温が低かったので、例年に比べ全国的に開花は遅れています。 大阪では4月10日頃が満開のようですが、今回は四国の1本桜を見るため4月5日に大阪を出発。最初に徳島県つるぎ町にある「吉良のエドヒガン」を目指します。つるぎ町は四国の名峰「剣山」の麓に位置し、巨樹・巨木が多くありますが、なかでも「赤羽根大師のエノキ」は日本一の大きさで国の天然記念物に指定されています。
今年も大阪府樹木医会と おおさか緑と樹木の診断協会合同の新人歓迎会が行われました。そのなかによく知った方もいたりしました。 これからもどうぞ仲良くして下さい。 樹木医として合格されて皆様、おめでとうございます。 皆さんは、まずはこれまで携われた分野において、樹木医という新たな切り口を持って樹木に挑むことになるでしょう。これまでの皆さんは樹木に対して片刃の小刀、これからの皆さんは両刃の鋏かと思います。 この会場に来た新人の皆さん! あなた方は実にラッキーだ!! と、言いますのも私が合格してから今の今までに感じた事なのですが、複数の樹木医が切磋琢磨する環境に身を置けるというのは実にありがたいことなんです。 我々が保持する〝樹木医″という資格はみんな同じ輝きです。しかし残念ながら個々が持つ樹木医としての到達度は、断じて同じではありません。 例えるなら〝剪定鋏″と一括りのはさみにも、ホームセンターに並ぶ廉価版に対し、積み重ねた実験に基づくファクトリー製のはさみや、熟練の技による見事な逸品があるようなものです。 合格して間もない皆さんに対しても、社会からはベテランの先達と同じ知見と技術と責任が容赦なく求められることになります。この重さをこれから数か月あるいは数年をかけて徐々にあるいは唐突に実感していくことになるでしょう。合格するまでの知識・技術はあくまでも合格するまでの過程に過ぎません。皆さんが多方面で活躍すればするほど、身震いする厳しい現実と難問にぶつかることになるでしょう・・・。必然的に、これから樹木医としてどんどん磨かれていく必要を感じると思います。 かく言う私も樹木医となりまして早7年目ですが、今年購入した本の一部はこんな感じ。あれも足りない!これも知らなければ!と、1冊読むと2冊必要になるという繰り返しをしています。 樹木医の団体の中でも特に大阪は全国でも有数の個性派が勢ぞろいし、とりわけNPO法人 おおさか緑と樹木の診断協会は大阪だけでなく関西一円の樹木医のエキスパートの方々が参加しています。この会の活動に参加し、現実の様々な場面で磨かれて来た先達と接する度に、皆さんは社会の要求と責任に応えられる樹木医に磨かれていくことになるでしょう。 だからこそ、その第1段階、先輩樹木医の巣窟に足を踏み入れる機会を得た皆さんは実にラッキーです! 笹部雄作
私はN造園で働いている。親方は義理の父、すなわち私の嫁の父親で、とてもおおらかな性格の優しい人だ。それに似たのであろう、その娘である私の嫁も、とてもおおらかな性格をしている。 私の嫁は、現在「アーチェリー」をやっている。嫁の父親が昔からやっていたので、その影響を受けて10年ほど前から始めた。最初は、週1回開催されている近所の市民教室へ通って練習していたのだが、最近はとても熱心で、週2~3回、京都あたりの射場まで通っている。
先日、なばなの里へ行ってきました。ここの樹木の管理はすばらしく、河津桜、枝垂れ梅、サンシュウは満開でした。特にベゴニアガーデンの手入れはM式灌水システムと相まって見事なものでした。 一番のお目当ては夜のイルミネーションですが、今年のテーマは「四季」という事で1本の樹木を中心に四季それぞれの風景を表現しており、中でも希望と題した虹の表現は圧巻でした。 今年は4月1日まで開園するという事なので、お時間の許す方には一見の価値があります。
昭和20年3月13日深夜から翌14日未明にかけて、274機のB-29が大阪の街を火の海にしました。 御堂筋も例外ではなく、現在の中央区付近(旧南・東区)も焼け野原になりました。 御堂筋が完成したのは、昭和12年5月11日。イチョウは、昭和4年から12年にかけて植栽されました。 御堂筋に植栽されるまでの間、大正12年から大阪市直営旭区豊里苗圃にて育成されていました。
私は先日、中国で土壌調査をしてまいりました。調査に際して日本から穴掘り道具を送りましたが、シャベル(ケンスコ)だけはどこにでもあるので、現地調達することにしました。なんと新品の中国製ケンスコは、少し穴を掘っただけで柄が根本から折れてしまい使い物にならなくなり非常に困りました。それに比べて日本から送った金象印の複式ショベル(ダブルスコップ)とらせん穴あけ器の素晴らしいこと。穴掘り道具もやはり日本製が優れています。
おオ、 プリントゴッコよオ。 永い間、ご苦労さん。 お前の時代は終わったヨ。 本当に永い間、ご苦労をかけたネ。 私がプリントゴッコを買ったのは、昭和56年の年末だった。 その1年前の年末に、プラッと立ち寄った百貨店で実演販売をしていた。 半時間ほど、眺めていただろうか。 欲しいなアと思ったけれど金1万円也。 流石に手が出なかった。 次の年の年末、清水の舞台から…エイッ! 1万円で買った。 昭和57年の年賀状から平成23年の年賀状まで、実に30年間の年賀状作り。 近畿樹木医会の総会と現地研修会の出欠返信用のハガキの印刷。近畿樹木医会は平成4年に1期9名、2期10名で発足したが、平成21年は300名を越す人数になったので、プリントゴッコは重宝した。
秋を超えて冬に入りつつある季節に海を越えて、樹木の移植のため向かった地は、インドネシア、赤道を少し南側に超えた常夏の島。予想はしていましたが、真っ赤な粘土質の大地と四季のない赤道直下の気候と年輪なく生長する樹木、根が日本では考えられないほど旺盛に伸び、しかし日本の樹木のように葉は密集したりせず、まるで透かし剪定でもしたかのような木々。 何から何まで面白くてたまりません。木陰は大阪の夏より涼しく、町は活気にあふれ、メシもうまい。例えば現地のパダン料理は香味野菜を鼻の奥にねじ込んでくるが如く強烈な風味でありながらも塩分は控えめで、深~い味わい。自分の好みを直撃です。